「現場と二人三脚になって、医療の問題点を政策面から解決していきたい」井高貴之さん

現場と二人三脚になって、医療の問題点を政策面から解決していきたい 井高貴之さん

忙しく慌ただしい印象の強い病院。現場の工夫や実践だけでは限界があり、制度を変えない限り、疲弊する現場の問題を解決することは難しいともいわれます。ゼミや講義、実習での学びを経て、制度の枠組みから医療業界の問題解決に取り組みたいと考えた井高貴之さん。慶應義塾大学看護医療学部1期生として卒業後は大学院へ進学し、民間の総合シンクタンクに勤めた後、現在は独立行政法人国立病院機構の総合研究センターで働いています。現在担当されているお仕事のこと、看護医療学部時代のことなど、色々なお話を伺いました。

--現在、どんな仕事をされているのですか?

独立行政法人国立病院機構の総合研究センターで働いています。機構が全国に抱える144の病院のDPCデータ(*1)やレセプトデータ(*2)をはじめとする診療情報、病院の内部で持っている情報などを用いて、各病院の診療機能の分析や医療の質の測定、医療政策に関連する研究などを行っています。144病院をまとめる本部の関係者や、病院の院長、診療統括部長、看護部長などの様々な関係者の方々と、保健医療福祉の現場や政策に関わる問題に向き合い、データを分析しながらその解決策を明らかにするよう、日々努めています。各地域で医療提供体制の歪さ、人材不足などの状況が見られる中で、各病院がどういった立ち位置にあるのか、今後どういった医療機能を提供していかなければならないか、どう「あるべき姿」に近づけていくかなどを、分析を重ねながら、現場と一緒になって考えています。現職に就く前は、民間の総合シンクタンクで、厚生労働省や地方自治体、医療関係団体、保険者団体の保健医療福祉の政策に関連する調査研究に5年ほど取り組んでいました。

--仕事にやりがいを感じる瞬間は?

私自身、実際の現場で医療を提供しているわけではなく、各病院から提出されるデータを分析しながら問題を明らかにしていくのですが、問題の本質や真の意味での解決策は現場にあると思っています。現場にいる方々と話しながら進めていくことが、難しいことでもあり、楽しいことでもあると感じています。現場で取り組んでいる内容と、データの分析を通じて出てきた解決策が上手くかみ合ったときや、分析した結果が実際の問題解決に繋がっていったり、次のステップに進んでいけたりするときに、やりがいと喜びを感じます。

--そもそも看護医療学部を選んだきっかけは?

私は慶應義塾内部の高校からの進学だったのですが、希望の学部を決めるタイミングで、看護医療学部が新設されることを知りました。「時代の要請に応え、保健・医療・福祉の分野において先導的役割を果たす」という文言は、看護医療学部が掲げている理念の中でも最も好きな部分です。この理念に惹かれて、現場で実際に患者さんをサポートできる看護師という職業も気になり、幅広い視点から看護・医療分野について学ぶことができる看護医療学部に進むことを決めました。

井高貴之さん

--現在の仕事とつながっている、学部時代の学びについて教えてください。

講義や実習を通じて医療の現場を見る中で、様々な患者さんと接してきました。たとえば急性期や母性の実習では、人の生死を意識しましたし、逆に終末期では、同じ死でも自分の死を受容して、その中で生活をしていかなければならないのだと意識することができました。身体的・精神的・社会的な側面から様々な方々の「生きる」部分を直に見ることができて、それを「支える」ということがどういうことなのかを学べたのが、学部時代の最も大きな財産です。今、現場とは違うところにある政策面などで、医療をどのように提供していくべきかを考えるときにも、実習で実際に出会った方たちのことを思い出して、意識することが多いです。さらに、我が国の医療が公的医療保険制度の下に提供されている中で、現場の問題の多くは、現場の実践と制度の見直しの両輪で考えていかないと本当の意味では解決しないと感じました。この問題意識が現在の仕事にもつながっていますし、学部時代にはその現場と制度の双方向から考えられる素地を作ることができたと思っています。

--特に心に残っている講義や実習について教えてください。

ひとつひとつが濃いものでしたが、特に実習での経験が心に残っています。終末期の実習では、手を伸ばして物を取ることもできないくらいの状態の患者さんと、日々ケアやコミュニケーションを通じて、信頼関係を築いていきました。実習最終日にカンファレンスが長くなってしまい、慌ててその方の病室へ戻ると、「もう戻ってこないのかと思ったよ」とおっしゃりながら、頑張って手を伸ばし、ご自身で飲み物の缶を取って飲む姿を見せてくれました。今までできなかった行為を私の前で見せてくれたその光景を目の当たりにして、看護が、その人自身の持つ力を最大限引き出してその人らしさを支えることができる力を持っていることを実感し、自分自身も励まされたことを覚えています。また、急性期では、侵襲性の高い手術を行い、徐々に回復していく方の姿を目にして、人間の持つ強い回復力を改めて実感する経験もできました。慢性期では、病とともに生きることの大変さや、その中でどのように患者さんやご家族を支えていくことができるのかを学びました。学部で体験させていただいた数々の実習は、他ではできない有意義な経験になったと思います。

--最後に看護医療学部を目指す後輩たちへ、メッセージをお願いします。

看護や医療は専門性を磨いて、専門職に進む場合が多いですが、慶應という総合大学で学べるいい機会なのですから、自分の将来の可能性や選択肢を広く持っていてください。看護、医療の根底にあるのは、人の「生きる」を支えることだと思います。そのあり方を考えていくうえでは、保健・医療・福祉のそれぞれの分野で何をすべきなのかも関わってきますし、社会保障全般がどうあるべきなのかも関わってきます。そして、それらはひいては国民生活全般をどうしたらより良くすることができるのかということにつながっていきます。その意味で、看護、医療の学びから、医療や保健、福祉以外の領域も含めて自分の目指す分野を考え、幅広い選択肢の中から自分の将来を選んでいってほしいですね。看護医療学部では、普通の学部と比べてもとても濃い経験を積めると思いますし、その人その人の生と接する中で物事を感じたり、考えたり悩んだりする経験は、かけがえのない財産になります。人間が「生きる」ことを最も生々しい場面で学び実感して、4年間考え抜いて悩むことで、自分の強みや目指すべきものも見えてきます。社会で活躍していくときに、この4年間の学びはどの業界に進んでも大きな原動力になるはずです。是非、看護、医療の学びを活かし、社会の先導者として様々な分野で活躍してもらいたいですね。

注釈

*1)DPCデータ:
急性期の入院医療の制度で用いられる患者臨床情報、診療行為情報のデータ

*2)レセプトデータ:
医療機関が医療費を請求する際に用いる診療報酬明細書のデータ

(インタビュー取材 2013年5月)